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持統天皇
(じとうてんのう。645年~702年)
第41代天皇。1番・天智(てんじ)天皇の第2皇女で、讃良皇女(さららのひめみこ)。13歳で叔父の大海人皇子(おおあまのみこ:後の天武天皇)の妻となりました。父の天智天皇が死の床についた時、夫とともに吉野にのがれ、672年、壬申の乱に大海人皇子が勝利して天武天皇として即位すると、皇后に立てられました。都は再び飛鳥の地に戻ります。「日本書紀」によると、天武天皇の在位中、皇后は常に天皇を助け、そばにいて政治について助言したといいます。夫の死後から3年、息子の草壁皇子が28歳の若さで病死したため、40歳を過ぎてから持統天皇として即位し、藤原宮に都を移しました。草壁皇子の遺児、孫にあたる7歳の軽皇子(かるのみこ)を守り、天武天皇の後を継いで、刑部(おさかべ)親王や藤原不比等(ふじわらのふひと)らに命じて法令集「大宝律令」を編纂させるなど、律令政治の土台を固めました。「続日本紀によると、58歳で亡くなり、1年間の殯(もがり)の後、大宝3年(704)12月17日に火葬され、その月の26日に大内陵(おおうちのみささぎ)に天武天皇と合葬(がっそう:1つの墓に一緒に葬ること)されました。壬申の乱以降、夫と苦楽を共にしてきた女帝の願いだったのでしょう。「万葉集」に長歌2首と短歌4首収められています。 |
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●「やすみしし わが大君の 夕されば 見したまふらし 明けくれば 問ひたまふらし 神丘の 山の黄葉(みみぢ)を 今日もかも 問ひたまはまし 明日もかも 見したまはまし その山を 振りさけ見つつ 夕されば あやに哀しみ 明けくれば うらさび暮らし あらたへの 衣の袖は 乾(ふ)る時もなし」(わが大君の御魂が、夕方になるとご覧になっているにちがいない、夜が明けると訪れていらっしゃるにちがいない。神丘の山の黄葉を今日にでも訪れられたであろうに、明日にでもご覧になったであろうに。その山を私ははるかに見つつ、夕方になると無性に悲しく、夜が明けるとしみじみとさびしく日を暮らし、藤で織った喪服の袖は乾くことがない。「万葉集」夫の天武天皇が亡くなった時の挽歌(ばんか)ですが、夫への強い愛情が感じられます。また、天武天皇が亡くなって8年後の9月9日、内裏で供養が行われた夜、持統天皇が夢の中で詠んだ長歌も「万葉集」にありますが、むしょうにお慕いしていると詠まれています。)
●「燃ゆる火も 取りて包みて 袋には 入ると言はずや 面智男雲」(燃える火でも、取って袋に入れることができると言うではないか。「万葉集」結句の読みは不明。亡くなった天武天皇に会うすべがないことを嘆く気持ちを詠んでいます。)
●「北山に たなびく雲の 青雲の 星離さかり行き 月も離さかりて」(北山にたなびく雲、その青雲が、星を離れてゆき、月からも離れて行くことだ。「万葉集」天武天皇が皇后や皇子から離れて遠く去っていったことをたとえています。) |
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●歌枕となった香具山は、屏風絵の図柄としても平安時代に生き続けました。83番・藤原俊成が50歳になった祝いの屏風絵に、91番・藤原良経が歌を詠んでいます。「春霞(はるがすみ) しのに衣を 折りかけて 幾日ほすらむ 天の香具山」(「続後撰集」春)
●持統天皇の生涯については里中満智子の長編漫画「天上の虹」(講談社)にくわしく描かれています。晩年の天皇は旅行を好み、在位中に吉野へは31回、持統6年3月には、伊勢・志摩に行幸しています。鳥羽市の答志島、小浜あたりの海岸で舟遊びをされたそうです。1300年前、天武天皇が発意され、次の持統天皇4年(690)に内宮、同6年(692)に外宮で初めて行われた遷宮(せんぐう)の頃と考えられます。遷宮とは宮を遷(うつ)すことを意味します。式年遷宮は20年に一度、東と西に並ぶ宮地を改めて、大御神にお遷りいただくお祭りです。
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●天武・持統天皇陵は奈良県明日香村にあります。県道209号線(野口平田線)を南下すると、野口の集落を抜けた右手の丘の上にこんもりとした森が見えます。 |
●持統天皇の生涯については里中満智子さんの長編漫画「天上の虹」(講談社全23巻)にくわしく描かれています。また、「イラスト古典万葉集」(学習研究社)には持統・天武天皇の長歌が紹介されています。 |
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●晩年の持統天皇は旅行を好み、伊勢・志摩にも行幸しています。鳥羽市の答志島、小浜あたりの海岸で舟遊びをされたそうです。 |
●伊勢神宮の式年遷宮の制度は、天武天皇の考えにより始まり、次の持統天皇4年(690年)に第1回遷宮が行われました。 |
●持統天皇の「春過ぎて」の歌は、京名菓の包装紙やしおりにも印刷されて親しまれています。 |
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