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百人一首秘話

百人一首と百人秀歌
(黄色枠は数字の動かない和歌

 昭和26年に発見された百人秀歌は百人一首の草稿だと言われています。
発見した当時は戦争が終わって日本はGHQの占領下で、その状況と鎌倉幕府による統制と重ね合わせてしまった可能性があります。
そのため当時はあまり研究を進めることができなかったようです。
 百人一首と百人秀歌の違いは下の5点です。特に③~⑤は蓮生、定家には知らされず、為家が変更したと言われています。

 さらに、その下にある表は、その番号の違いを示しました。11首だけは番号が変わっておらず、これが魔方陣の並びと関係があるようです。
 
百人秀歌」と「百人一首」の違い ①後鳥羽院、順徳院の歌の追加
②源俊頼の歌の差し替え
③歌三首の削除(定子皇后、源国信、藤原長方の歌)<為家による変更>
④歌順の全面的変更<為家による変更>
⑤藤原家隆の位階の変更<為家による変更>
歌人名 百人一首 百人秀歌 和歌
天智天皇 1 1 秋の田のかりほの庵のとまをあらみ 我がころも手は露にぬれつつ
持統天皇 2 2 春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山
柿本人麻呂 3 3 あしひきの山どりの尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかもねむ
山部赤人 4 4 田子の浦にうちいでて見れば白妙の 富士の高嶺に雪はふりつつ
猿丸大夫 5 8 おく山に紅葉ふみわけなく鹿の 声きく時ぞ秋はかなしき
中納言家持(大伴) 6 5 かささぎのわたせる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞふけにける
安倍仲麿 7 6 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも
喜撰法師 8 14 我が庵は都のたつみしかぞすむ 世を宇治山と人はいふなり
小野小町 9 13 花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに
蝉 丸 10 16 これやこの往くもかへるも別れては 知るも知らぬも逢坂の関
参議 篁(小野篁) 11 7 わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人にはつげよあまのつり舟
僧正遍昭(良岑宗貞) 12 15 天津風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ
陽成院 13 12 つくばねの峰よりおつるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる
河原左大臣(源融) 14 17 陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにしわれならなくに
光孝天皇 15 18 君がため春の野に出でて若菜つむ 我が衣手に雪はふりつつ
中納言行平(在原) 16 9 立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとしきかば今かへり来む
在原業平朝臣 17 10 千早ぶる神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは
藤原敏行朝臣 18 11 住の江の岸による波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ
伊 勢 19 19 難波潟みじかき芦のふしの間も あはでこの世を過ぐしてよとや
元良親王 20 20 わびぬれば今はた同じ難波なる 身をつくしても逢はむとぞ思ふ
素性法師(良岑玄利) 21 22 今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな
文屋康秀 22 27 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ
大江千里 23 30 月見ればちぢにものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど
菅 家(菅原道真) 24 23 このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉のにしき神のまにまに
三条右大臣(藤原定方) 25 35 名にしおはば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな
貞信公(藤原忠平) 26 34 小倉山峰のもみぢ葉心あらば 今ひとたびのみゆき待たなむ
中納言兼輔(藤原) 27 36 みかの原わきて流るる泉川 いつみきとてか恋しかるらむ
源宗于朝臣 28 21 山里は冬ぞさびしさまさりける 人めも草もかれぬと思へば
凡河内躬恒 29 25 心あてに折らばや折らむ初霜の おきまどはせる白菊の花
壬生忠岑 30 24 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかりうきものはなし
坂上是則 31 29 朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里にふれる白雪
春道列樹 32 32 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬもみぢなりけり
紀 友則 33 26 久かたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ
藤原興風 34 31 誰をかも知る人にせむ高砂の 松もむかしの友ならなくに
紀 貫之 35 28 人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞむかしの香ににほひける
清原深養父 36 33 夏の夜はまだよひながら明けぬるを雲のいづこに月やどるらむ
文屋朝康 37 38 白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける
右 近 38 39 忘らるる身をば思はず誓ひてし 人の命の惜しくもあるかな
参議 等(源等) 39 37 浅茅生のをののしの原しのぶれど あまりてなどか人の恋しき
平 兼盛 40 41 しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで
壬生忠見 41 42 恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか
清原元輔 42 45 契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは
権中納言敦忠(藤原) 43 40 逢ひ見ての後の心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり
中納言朝忠(藤原) 44 44 逢ふことの絶えてしなくはなかなかに人をも身をも恨みざらまし
謙徳公(藤原伊尹) 45 43 あはれともいふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな
曽禰好忠 46 47 由良のとをわたる舟人かぢをたえ 行く方も知らぬ恋の道かな
恵慶法師 47 52 八重むぐらしげれる宿のさびしきに 人こそ見えね秋はきにけり
源 重之 48 46 風をいたみ岩うつ波のおのれのみ 砕けてものを思ふころかな
大中臣能宣朝臣 49 48 御垣守衛士のたく火の夜はもえ 昼は消えつつものをこそ思へ
藤原義孝 50 49 君がため惜しからざりし命さへ ながくもがなと思ひけるかな
藤原実方朝臣 51 50 かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしも知らじな燃ゆる思ひを
藤原道信朝臣 52 51 明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしきあさぼらけかな
右大将道綱母 53 56 歎きつつひとりぬる夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る
儀同三司母(高階貴子) 54 55 忘れじの行末までは難ければ 今日をかぎりの命ともがな
大納言公任(藤原) 55 滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ
59 滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ止まりけれ
和泉式部 56 61 あらざらむこの世のほかの思ひ出に 今ひとたびの逢ふこともがな
紫式部 57 64 巡りあひて見しやそれともわかぬ間に雲がくれにし夜半の月かな
大弐三位(藤原賢子) 58 62 有馬山猪名のささ原風吹けば いでそよ人を忘れやはする
赤染衛門 59 63 やすらはで寝なましものを小夜更けて傾くまでの月を見しかな
小式部内侍 60 66 大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立
伊勢大輔 61 65 いにしへの奈良の都の八重桜 今日九重に匂ひぬるかな
清少納言 62 60 夜をこめて鳥のそら音ははかるとも 世に逢坂の関はゆるさじ
左京大夫道雅(藤原) 63 68 今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな
権中納言定頼(藤原) 64 67 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木
相 模 65 75 恨みわびほさぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ
前大僧正行尊 66 71 もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし
周防内侍(平仲子) 67 69 春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそ惜しけれ
三条院 68 54 心にもあらでうき世にながらへば 恋しかるべき夜半の月かな
能因法師(橘永愷) 69 57 あらし吹く三室の山のもみぢ葉は 龍田の川のにしきなりけり
良暹法師 70 58 寂しさに宿を立ち出でてながむれば いづこもおなじ秋の夕暮
大納言経信(源) 71 70 夕されば門田の稲葉おとづれて 芦のまろやに秋風ぞ吹く
祐子内親王家紀伊 72 74 音にきく高師の浜のあだ波は かけじや袖の濡れもこそすれ
権中納言匡房(大江) 73 72 高砂の尾の上の桜咲きにけり 外山の霞たたずもあらなむ
源俊頼朝臣 74 うかりける人を初瀬の山おろしよ はげしかれとは祈らぬものを
76 山ざくらさきそめしよりひさかたのくもゐにみゆるたきのしらいと
藤原基俊 75 82 契りおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋も去ぬめり
法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通) 76 79 わたの原漕ぎ出でて見れば久かたの 雲ゐにまがふ沖つ白波
崇徳院 77 77 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ
源兼昌 78 81 淡路島通ふ千鳥の鳴く声に 幾夜ねざめぬ須磨の関守
左京大夫顕輔(藤原) 79 80 秋風にたなびく雲の絶え間より もれ出づる月の影のさやけさ
待賢門院堀川 80 78 ながからむ心も知らず黒髪の 乱れて今朝はものをこそ思へ
後徳大寺左大臣(徳大寺実定) 81 86 ほととぎす鳴きつる方を眺むれば ただ有明の月ぞのこれる
道因法師(藤原敦頼) 82 83 思ひわびさても命はあるものを 憂きに堪へぬは涙なりけり
皇太后宮大夫俊成(藤原) 83 87 世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
藤原清輔朝臣 84 84 ながらへばまたこの頃やしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき
俊恵法師 85 85 夜もすがらもの思ふ頃は明けやらで ねやのひまさへつれなかりけり
西行法師(佐藤義清) 86 88 なげけとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな
寂蓮法師(藤原定長) 87 93 むらさめの露もまだひぬまきの葉に 霧立のぼる秋の夕暮
皇嘉門院別当 88 89 難波江の芦のかりねの一夜ゆゑ 身をつくしてや恋ひわたるべき
式子内親王 89 92 玉の緒よ絶なば絶えねながらへば 忍ぶることのよわりもぞする
殷富門院大輔 90 91 見せばやな雄島のあまの袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変らず
後京極摂政前太政大臣(九条良経・藤原良経) 91 95 きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣かたしきひとりかも寝む
二条院讃岐 92 94 わが袖は潮干にみえぬ沖の石の 人こそ知らね乾く間もなし
鎌倉右大臣(源実朝) 93 98 世の中は常にもがもな渚こぐ あまの小舟の綱手かなしも
参議雅経(藤原雅経・飛鳥井雅経) 94 97 みよし野の山の秋風小夜ふけて ふるさと寒く衣うつなり
前大僧正慈円 95 96 おほけなくうき世の民におほふかな わが立つ杣に墨染の袖
入道前太政大臣(西園寺公経) 96 101 花さそふあらしの庭の雪ならで ふりゆくものは我が身なりけり
権中納言定家(藤原) 97 100 来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ
従二位家隆(藤原) 98 99 風そよぐならの小川の夕暮は みそぎぞ夏のしるしなりける
後鳥羽院 99 人も惜し人も恨めしあぢきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は
順徳院 100 百敷や古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり
一条院皇后宮 53 よもすがらちぎりしことをわすれずばこひんなみだのいろぞゆかしき
権中納言国信 73 春日野のそたもえわたる草のうへにつれなく見ゆる貼るのあは雪
権中納言長方 90 きのくにのゆらのみさきにひろふてふたまさかにだにあひみてしかな