ここは京の都の西、嵯峨野。定家は息子の為家の妻の父である蓮生が建立した山荘を訪れた。そこで、蓮生が主催する連歌会に参加するためである。そこの広間から庭を眺めると、南側の廂(ひさし)の向こうには南池がある。その奥には阿弥陀堂、背景に小倉山やそれに連なる山々がまるで1枚の絵のように一望でき、ここでは、春には梅や桜、秋には紅葉が美しく庭を彩ることが容易に想像できる。蓮生は、定家にこの華麗できらびやかな山荘を案内しながら、こう切り出した。 |
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![]() 蓮生 |
ところで定家様、一つお願いがあるのですが、聞いてくださりますかな。 |
![]() 藤原定家 |
もちろんですとも。蓮生様のお願いを私がお断りする道理はまったくございません。 |
蓮生 | それはありがたい。実は、いつも私が居所としておる部屋がどうも物足らぬ気がしております。 そこで、その対屋の部屋の障子を和歌の色紙で飾りたいと思っているのです。 |
藤原定家 | ほう、結構な趣向ですな。そんなことでしたらぜひ、私にもお手伝いさせてください。 |
蓮生 | 私が下野(しもつけ)から出てきてはや30年が過ぎました。それまでは、戦に明け暮れ、人の命の重さを微塵たりとも感じなかった私が今、このような生活ができているのは、きっと先人たちが築きあげてきた何かのおかげだと思うのです。もちろん、この山荘には阿弥陀堂もあり、日ごと祈りを捧げているのですが、それだけでなく、俗世の中でもそのことを感じたいと思っています。 そこで、定家様、私のお願いというのは、「世の流れの中で翻弄されて生きてこられた先人にいつでも思いをはせられ、しかもこの優美な空間にふさわしい和歌障子色紙を作ってはいただけないか。」ということです。 |
藤原定家 | さようですか。つまり、すぐれた歌人でありながら不運な出来事に巻き込まれていった先人の和歌を中心に集めれば良いのですね。 |
蓮生 | そうです。もちろん、欲張りをいうとやはり今昔の優れた歌人たちの顕彰の意味も込められると素晴らしいのですがね。 |
藤原定家 | それはいい。勅撰集の選者としての立場で申し上げるなら、私もそこは外せないと思っていたところです。ぜひお引き受けいたします。 |
蓮生 | ありがとうございます。もちろん、選ぶ歌人や和歌、歌の数はあなたにお任せします。あの障子がすばらしい和歌で埋め尽くされるような光景がもうすぐ見られるかと思うと、定家様が身内になっていただいたことに感謝申し上げなければならないですね。 |
![]() 藤原定家 |
いえいえ、これは私にとても充実した選歌になりそうです。そんなことで蓮生様のお役に立てるのなら、とてもうれしいです。 |
![]() 蓮生 |
それでは、よろしくお願いいたします。 |
<解説> 本当にこんな話があったかどうか、定かではないものの、蓮生が定家に選歌を依頼した内容は主につぎの2点である ① 今昔の苦界に沈んだ歌人たちの追善供養 ② 今昔の歌人たちの顕彰 もちろん、そこには定家の和歌の選者としての力量も期待しており、定家はそのことも含めて依頼を受けたと思われる。 |