陰暦 5月15日
(7月 1日) |
|
|
|
南部道遙にみやりて、岩手の里に泊る。小黒崎みづの小島を過ぎて、鳴子の湯より尿前の関にかかりて、出羽の国に越えんとす。この路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸うとして関をこす。大山をのぼつて日既に暮れければ、封人の家を見かけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。
蚤虱馬の尿する枕もと
あるじのいふ、これより出羽の国に大山を隔てて、道さだかならざれば、道しるべの人を頼みて越ゆべきよしを申す。さらばといひて人を頼み侍れば、究竟の若者反脇指をよこたへ、樫の杖を携へて、我々が先に立ちて行く。「けふこそ必ずあやふきめにもあふべき日なれ。」と辛き思ひをなして後について行く。あるじのいふにたがはず、高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて夜行くがごとし。雲端に土ふる心地して、篠の中踏み分け踏み分け、水をわたり岩に蹶きて、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。かの案内せし男のいふやう、「この道必ず不用の事あり。恙なうおくりまゐらせて仕合はせしたり。」とよろこびてわかれぬ。あとに聞てさへ胸とどろくのみなり。 |
|