医王寺
陰暦  5月 2日
(6月18日)
  月の輪のわたしを越えて、瀬の上といふ宿に出づ。佐藤庄司が旧跡は左の山際一里半ばかりにあり。飯塚の里鯖野と聞きて、尋ね尋ね行くに、丸山といふに尋ねあたる。これ庄司が旧館なり。麓に大手の跡など、人の教ふるにまかせて涙を落し、又かたはらの古寺に一家の石碑を残す。中にも二人の嫁がしるし、先づあはれなり。女なれどもかひがひしき名の世に聞えつるものかなと袂をぬらしぬ。堕涙の石碑も遠きにあらず。寺に入りて茶を乞へば、ここに義経の太刀・弁慶が笈をとどめて汁物とす。
      笈も太刀も五月にかざれ紙幟

 五月朔日の事なり。
 朗 読


止
笈も太刀も 五月にかざれ 紙幟
おいもたちも さつきにかざれ かみのぼり
 月の輪の渡しを越えて、瀬の上という宿場に出る。佐藤庄司の旧跡は左の山際で、ここから一里半ほどのところにある。飯塚村の鯖野というところだと聞いて、人に尋ねながら行くと、丸山という場所に尋ね当たる。これが庄司の旧跡、館跡である。丸山の麓に大手門の跡などを、人が教えるのに任せて涙を落とし、またそばの古寺には佐藤一家の石碑が残っている。その中でも二人の嫁の石碑が、真っ先にしみじみと思われる。女であるが健気だという評判が、世の中に伝わったものだなあと袂を涙で濡らしてしまった。あの中国の故事で有名な堕涙の石碑も、遠い中国にまで行かなくても、こんな近くの場所にあったのだ。寺に入ってお茶を求めると、この寺は義経の太刀や弁慶の笈を残して、宝物としている。
      笈も太刀も五月にかざれ紙幟
   
<弁慶の笈も、義経の太刀も五月の端午の節句に飾ってくれ、あの紙幟とともに。>
これは五月一日のことである。

 
 ※ 現代語訳 土屋博映中継出版「『奥の細道が面白いほどわかる本 」中経出版の超訳より
◆芭蕉が感動した平家物語の冒頭の文「祗園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり」を3回くり返して読む。
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