陰暦 6月16日
(8月 1日) |
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江山水陸の風光、数を尽くして、今象潟に方寸を責む。酒田の湊より東北の方、山を越え礒を伝ひ、いさごをふみてその際十里、日影ややかたぶくころ、汐風真砂を吹き上げ、雨朦朧として鳥海の山かくる。闇中に模索して雨もまた奇なりとせば、雨後の晴色また頼もしきと、蜑の苫屋に膝をいれて雨の晴るるを待つ。その朝、天よく霽れて、朝日はなやかにさし出づるほどに、象潟に舟をうかぶ。先づ能因島に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、「花の上こぐ」とよまれし桜の老木、西行法師の記念をのこす。江上に御陵あり。神功皇宮の御墓といふ。寺を干満珠寺といふ。この処に行幸ありし事いまだ聞かず。いかなる事にや。この寺の方丈に座して簾を捲けば、風景一眼の中に尽きて、南に鳥海天をささへ、その影うつりて江にあり。西はむやむやの関路をかぎり、東に堤を築きて秋田にかよふ道遙かに、海北にかまへて浪うち入るる所を汐ごしといふ。江の縦横一里ばかり、俤松島にかよひてまた異なり。松島は笑ふがごとく、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはへて、地勢魂をなやますに似たり。
象潟や雨に西施がねぶの花
汐越や鶴はぎぬれて海涼し
祭礼
象潟や料理何くふ神祭 曾良
蜑の家や戸板を敷きて夕涼み (みのの国商人)低耳
岩上にみさごの巣を見る
波こえぬ契ありてやみさごの巣 曾良 |
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きさかたや あめにせいしが ねぶのはな
しおこしや つるはぎぬれて うみすずし
きさかたや りょうりなにくう かみまつり
あまのやや といたをしきて ゆうすずみ (ていじ)
なみこえぬ ちぎりありてや みさごのす (そら) |
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川や山、海、陸の風光明媚な地をたくさん見てきて、今は象潟へと心がせき立てられる。酒田の湊から北東のほうへ、山を越え、海辺を伝い歩き、砂地を踏んで、その距離十里ほど、日の光が少し傾く頃に着いたのだが、潮風が砂を吹き上げ、雨のためにぼうっとかすんで、鳥海の山が隠れる。暗い中を手探りするようにして象潟の情景を想像するのも、また変わっていて面白いとしたなら、雨のあとの晴れた景色もまた今から楽しみにされると、漁師の粗末な小屋に漆を押し込んで雨が晴れるのを待つ。
その翌朝、空はからりと晴れて、朝日が美しくさしのぼる頃に、象潟に舟を浮かべる。まず能因島に舟を着けて、能因法師が三年間静かに住んでいた場所の跡を訪ね、向こうの岸に舟から上がると、「花の上こぐ」と詠まれた桜の老木があって、今でも西行法師の記念を残している。入江のほとりに御陵があり、これは神功皇后の御墓だということだ。寺を干珠寺と言う。この場所に神功皇后のお出ましがあったということはまだ聞いていない。どういうことなのであろうか。この寺の部屋に座って簾を巻き上げて眺めると、風景が一望のもとに見渡され、南に鳥海山が空を支えるようにしてそびえ立ち、その姿は水面に映っている。西はむやむやの関が道を遮り、東に堤を築いて秋田に通じる道がはるかに続いて、日本海が北に位置していて波が入ってくるところを汐越しと呼んでいる。入江の縦横は一里ばかりで、その姿は松島に似ていて、それでいて異なってもいる。松島は笑うようであり、象潟は恨んでいるようである。寂しいうえに悲しみを加えて、土地の様子は美人が心を悩ましているようだ。
象潟や雨に西施がねぶの花
<美しい象潟だよ。雨中のねむの花は有名な中国の美女西施のようである。>
汐越や鶴はぎぬれて海涼し
<汐越には鶴がいるよ。鶴の足が濡れていて海が涼しそうに見えるよ。>
祭礼
象潟や料理何くふ神祭 曾良
<象潟では祭礼が行われている。料理は何を食べるのだろうか。曾良作。>
蜑の家や戸板を敷きて夕涼み 美濃の国の商人 低耳
<漁師の家では戸板を敷いて、その上で夕涼みをしているよ。美濃国の商人・低耳作。>
波こえぬ契ありてやみさごの巣 曾良
<岩の上にみさごの巣がある。波が岩を越えないように、みさごも番の仲がけっして変わらないという約束し合って巣を作っているのだろう。曾良作。>
※ 現代語訳 土屋博映中継出版「『奥の細道が面白いほどわかる本 」中経出版の超訳より |
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