陰暦 4月22日
(6月 9日) |
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とかくして越行ままに、阿武隈川を渡る。左に会津根高く、右に岩城・相馬・三春の庄、常陸・下野の地をさかひて山つらなる。影沼といふ所を行くに、今日は空曇りて物影うつらず。須賀川の駅に等窮といふものを尋ねて、四、五日とどめらる。先づ「白河の関いかに越えつるや。」と問ふ。「長途の苦しみ身心つかれ、かつは風景に魂うばはれ、懐旧に腸を断ちて、はかばかしう思ひめぐらさず。
風流の初めやおくの田植うた
無下に越えんもさすがに」と語れば、脇・第三とつづけて三巻となしぬ。
この宿の傍に、大きなる栗の木陰をたのみて、世をいとふ僧あり。橡ひろふ太山もかくやと閒に覚られて、ものに書き付け侍る。その詞、
栗といふ文字は西の木と書きて、西方浄土に便りありと、行基菩薩の一生杖にも柱にもこの木を用ひ給ふとかや。
世の人の見付けぬ花や軒の栗 |
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ふうりゅうの はじめやおくの たうえうた
よのひとの みつけぬはなや のきのくり
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あれこれして、白河の関を越えていくにつれて、阿武隈川を渡る。左に会津磐梯山が高くそびえ、右に岩城・相馬・三春の庄が見えて、常陸・下野の地を国境として山が連なっている。影沼というところを行くと、今日は空が曇って物影が映っていない。
須賀川の宿駅に等窮という者を訪ねて、四日五日と引きとどめられた。真っ先に、「白河の関をどのように越えましたか」と尋ねる。「長旅の苦労で心身ともに疲れ、一方で風景に心を奪われ、昔の話に腸を断ち切られるほどの感動を受けて、しっかりと発句を作る気持ちにもなりませんでした。
風流の初やおくの田植うた
<風流を味わう最初の出来事となったことですよ、奥州の地に足を踏み入れて、耳にした田植え歌が。>
何も発句を作らずに、白河の関を越えるようなことも、なんと言ってもやはり」と話すと、この発句をもとに脇句(第二句)・第三句と続けて、三巻の連句としてしまった。
この宿場のそばに大きな栗の木陰を頼りとして、俗世間を嫌って暮らす僧侶がいる。西行法師が「橡拾ふ」と詠んだ深山もこのようであろうかと、閑静な暮らしぶりだと思われて、紙に書き付けた。その言葉は、
栗という文字は、西の木と書いて、西方浄土にゆかりがあると、行基菩薩さまが一生杖にも柱にもこの木をお使いになったとかいうことです。
世の人の見付けぬ花や軒の栗
<あまりにも地味なので、俗世間の人々の目にもとまらない花だなあ、この庵の軒近くの栗の木は。そのように、この僧侶も味わい深い暮らしをしていることだなあ。>
※ 現代語訳 土屋博映中継出版「『奥の細道が面白いほどわかる本 」中経出版の超訳より |
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