屋島(香川)

  平宗盛  「屋島の戦い」は1185年に起きました。一ノ谷の戦いに敗れた平氏は、ここ屋島へ逃げて本拠を構え、海からの攻撃に備えて陣を構えました。一方、源義経が率いる源氏軍は軍船を組み、平氏を追って暴風雨の中を出港します。大阪の摂津から徳島の小松島まで、4時間で瀬戸内海を渡ると、そこから陸を伝って屋島へやってきました。2月19日、義経軍は二手に分かれて奇襲を仕掛けます。海上からの攻撃を想定していた平氏軍は、不意を突かれ、屋島と庵治半島の間の檀ノ浦浜付近の海上へ兵を後退させましたが、その後反撃しました。その際、扇の的や弓流しなどのエピソードが生まれました。屋島の戦いは、結局、源氏側の梶原景時の大軍が迫り、平氏軍は、屋島を追われ、現在の山口県下関市の彦島へ逃げ落ちました。


屋島


総門跡


弓流しの跡
奥に見える半島のような島。大きな屋根のようにも見える。源平合戦は、その手前の入り江辺りから外海(瀬戸内海)にかけてで行われたそうです 寿永二年9月、平氏は安徳天皇を奉じて六万寺を行在所としてここで門を構えて、海辺の防御に備えました。この門はその遺跡です。 義経は、海中に入って戦ううち、脇下に挟んでいた弓を海中に落として、平家方に熊手をかけられ危うく海中に落ちかかりました。その際、義経は太刀で熊手をあしらって左手の鞭で弓をかき寄せ引き上げたところです。


駒立岩
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那須与一が祈り岩で神明に祈願を終え、海の中でこの岩まで駒を進め、足場を定めて、波に揺れ動く船の扇の的を射落としたのだそうです。