平 清盛
広島県呉市にある「音戸の瀬戸」は、長さ800m、幅は狭いところで70mしかない本州と倉敷島の間の海峡です。清盛は日宋貿易を推し進めるための航路の1つとしてこの海峡を開削をしたそうです。この海峡は潮の流れがとても早く、岩礁もあって、工事はとても困難に思われました。そのため、引き潮を待って行われたそうですが、もう夕日が沈もうというとき、清盛は金の扇をかざして日の光を呼び戻し、1日で開削したといわれています。
また、この当時、このような難工事を行う際は、生きた人を神に捧げる「人柱」をたてて行っていたそうですが、清盛はそれをせず、お経を一字一石に心をこめて書き、海に沈めて人柱に代えて工事の安全を祈願したそうです。
清盛の日招き像
日招き像の立つ高烏山から見た音戸の瀬戸
音戸の瀬戸と清盛塚
音戸の瀬戸の開削の逸話通り、清盛はここで金の扇をかざして太陽を呼び戻したとか。・・。撮影した時は、像の修復が行われており、像に足場がかけられていました。
日招き像のあるところから音戸の瀬戸を一望できます。海峡の上にかかっている赤い橋は、第二音戸大橋です。
音戸の瀬戸の海峡には、人命を大切にし、無事海峡の開削を成功させた清盛をたたえて清盛塚が祀られています。