平 清盛
平家物語の巻5巻、「都遷」「月見」「物怪之沙汰」「早馬」「富士川」「五節之沙汰」「都帰」では、平清盛が福原(現在の神戸市兵庫区平野)に遷都したことが記述されています。福原に都がおかれたのはたった半年間でしたが、ここには、多くの平家が統治した証の遺物が残っています。
能福寺は、もともと平清盛の本当のお墓があったそうですが、平家滅亡と共に破壊されてしまったそうです。その後、室町時代に北条時貞が能福寺を再建し、再度ここに清盛を祀ったそうです。
将軍平清盛公墓所
清盛塚と琵琶塚
兵庫大佛
能福寺に入ってすぐの左側にあります。看板には「わが国唯一 将軍平清盛公墓処 八棟寺殿 平相國廟」と書かれています。
この塚は周辺整備のための発掘調査を行った際に、下半分が埋没した地盤の下に四角に囲った板石とその中に2枚の石からなる基壇遺構があることが分かり、その上部を地表に現し、地輪部以上を完全に露出させて組み直したものだそうです。
平家物語とは直接関係はありませんが、能福寺には遠くからでもよく見える「兵庫大仏」があります。この大仏は奈良、鎌倉と並んで、日本三大大仏の1つだそうです。