一ノ谷から西一帯の海岸は、「戦の濱」といわれ、毎年2月7日の夜明けには松風と波音のなかに軍馬の嘶く声が聞こえたとも伝えられ、ここが源平の戦いのなかでも特筆される激戦の地であったことが偲ばれる。(碑文 説明文より) |
この塚は周辺整備のための発掘調査を行った際、下半分が埋没した地盤の下に四角に囲った板石とその中に2枚の石からなる基壇遺構があることが分かり、その上部を地表に現し、地輪部以上を完全に露出させて組み直したものだそうです。 |
「須磨のうら 波の音あはれ吹きたへし 青葉の笛の昔おもへば 藤次」
敦盛の「青葉の笛」になぞらえて、源平合戦を偲んだ歌碑があります。 |