須磨寺(兵庫)

  平 敦盛  須磨寺の本当の名前は上野山福祥寺と言いますが、古来から須磨寺の通称で親しまれています。ここの本尊は、平家物語では味方になったり、敵になったりして何度も登場する源頼政が安置したそうです。また、ここには一の谷合戦の地でもあり、熊谷直実と平敦盛の合戦の庭や、敦盛の首塚や義経腰掛の松、弁慶の鐘など、源平合戦の跡がたくさんあります。また、宝物館には、敦盛の「青葉の笛」や、敦盛像、敦盛や直実の錦絵、一ノ谷合戦の屏風などがあります。


須磨寺本堂


源平の庭


義経腰掛の松
現在の本堂は1602年に豊臣秀頼が再建したもので、建築奉行は片桐且元だそうです。 平敦盛・熊谷直実の一騎討ちの場面を再現した庭です。庭前には、「笛の音に波もよりくる須磨の秋」の蕪村句碑があり、庭の角には弁慶が「一枝を伐らば一指を剪るべし」と制札を立てた、歌舞伎「一の谷嫩軍記」にも登場する「若木の桜」があります。 一の谷の合戦後、源義経はこの松に座って敦盛の首と笛を実検したそうです。


敦盛首洗いの池

宝物館にある「青葉の笛」「高麗笛」
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義経による首実検の前に敦盛の首を洗い清めたとされる池です。 青葉の笛は、もともと弘法大師が日本へ帰った後、これを嵯峨天皇に献上し、嵯峨天皇は空海の献上しましたこの笛を青葉の笛と名付け、その後皇室から平家の手に渡ったといわれているものです。髙麗笛は、青葉の笛と同じく敦盛遺愛の笛です。