平重盛
ここ小松谷正林寺は平重盛(清盛の息子)の別邸跡で、重盛がここに住んでいたことから、別名の「小松殿」の由来となっています。平家没落後に九条兼実がこの寺を創建し、法然上人の像もあります。平家物語第3巻「灯炉之沙汰」では、重盛がここに48の灯篭をともして念仏を唱えたという記述があり、重盛は「灯篭の大臣」と呼ばれていたと記されています。「金渡し」の段では、自分の命の短さを悟った重盛が中国の宋の育王山に三千両の大金に寄進して、後世をとむらうように依頼したとありますが、そのお返しに宋から送られた阿弥陀経石(重要文化財)の模刻があります。
正林寺山門
墓地内にある阿弥陀経石の模刻
小松谷御坊舊跡
この辺りに重盛の別邸があったようです。
高さは約2m、上部に笠石を置き、表面に「弥陀四十八願中」の三願と
定印の阿弥陀坐像が刻まれています。
正林寺の中には、小松谷がここであったという碑が立っています。このあたりに48基の灯篭が並んでいたのかもしれません。