三十三間堂(京都)

 平 清盛  三十三間堂は、後白河上皇の御所である法住寺殿の一画に上皇が平清盛に命じて造られました。法住寺殿は単なる御所としてではなく、上皇自らの墓所としても築かれたと伝えられています。実際に上皇の墓の法華堂は三十三間堂のすぐ東にあり、平氏と上皇をつないだ女御・建春門院滋子(清盛の妻・時子の妹)の墓も、上皇の墓のすぐ北にあったそうです。三十三間堂の観音たちは、すべて東にある上皇の墓の方向を向いていて、上皇は一千一体の観音に見守られて今も眠っています。幾度かの火災にあい、現在の三十三間堂は1266(文永3)年に再建されたものです。


三十三間堂
(蓮華王院本堂)


本堂正面


法住寺正門
正式には蓮華王院といい、柱の間数が三十三あることから三十三間堂とよばれました。南北118m・東西22m、堂内の中央に千手観音坐像一体が安置され、その左右に千手観音像五百体ずつ計一千一体が並び28部衆とともに祀られています。 荘厳なつくりが、国宝の趣を感じさせます。 三十三間堂の東隣にあります。
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