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●縁欠けて、身おとろへ…父・長継の死により祖母の家(菊家)の相続権を親族に奪われ、鴨氏一族とのつきあいもなくなった状態をいうのか。 ●門(かど)を建つる…門は地位の象徴の一つ。三位以上と四位の参議が建てるのを許された。 ●車宿り…牛車(ぎっしゃ)や輿(こし)を入れておく建物だが、竹の柱というのはごく間に合わせのもの。 ●河原…鴨川の通称。鴨川のどの流域に長明の住まいがあったかは不明。古来、水害の多い川だった。 ●たがひめ…予定が狂うこと。挫折、行き違い。 ●妻子…妻子がいたかは不明。父・長継の母の娘か孫かを妻として祖母の家に婿(むこ)に入ったのではないかという説もある。 ●大原山…洛北(京都市東北部)大原の地。寂光院の東にあたり、比叡山の横川にも近い。王朝期以来、良暹法師をはじめ隠棲者が住んだ山里で、歌枕でもある。 |
❶しのぶかたがた…「住みわびて われさへ軒の しのぶ草 しのぶかたがた しげき宿かな」(住んでいることがつらくて、私までも去って行くこの家の軒の忍ぶ草よ、その名ではないですが、しのび懐かしむ事がいろいろとあるこの家ですよ。)周防内侍「金葉和歌集」。藤原信実編「今物語」(鎌倉時代の説話集)によると、院政初期の歌人・周防内侍が家を手放して出る時に、家の柱に書き付けた歌で、その筆跡と旧宅は、建久頃(長明四十歳前後)まで残っていて、歌人たちが訪れる名所であったという。 ❷「右の手も その面影も かはりぬる 我をば知るや みたらしの神」(川水で洗う右の手も、水面に映るその面影も、すっかり変わってしまったけれど、私だと分かってくださるのでしょうか、御手洗川の神よ。)出家後に賀茂社にお参りした時に長明が詠んだ歌。「続歌仙落書」 |
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![]() 良暹法師の住んだ大原の里 |
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1184年 【30歳】 |
父の祖母方の家を出て、賀茂川近くに自宅を建て転居 |
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1185年7月【31歳】 | 元暦の大地震 | ||
1186年晩秋【32歳】 | 伊勢・熊野に旅する。「伊勢記」 | ||
1187年 【33歳】 | 六条河原近くに自宅を建て、俊恵より歌学を学ぶ。 | ||
1201年 【47歳】 | 後鳥羽院に認められ和歌所の寄人に抜擢される。 | ||
1204年春 【50歳】 | 出家して大原に転居する。 | ||
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法界寺裏手の山道を登ると | 斜面から突き出た巨石が方丈石 |
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巨石の上の平らな部分に庵を建てた。 | 江戸時代に「長明方丈石」の石碑が建てられ、観光名所となる。 |