八ヶ竈(はちかがま) 八ヶ竈八幡神社 度会郡南伊勢町
大方竈 他
<人物>
平家の子孫

 平家の子孫は、南伊勢町まで南下し、「竃(かま)」を構成して隠れ住んだようです。いずれも入り江の奥まったところにあり、近くに川と山がひかえています。人々は、ここで塩焼き竈を築いて製塩業を行い、生計をたてて暮らしていました。赤崎竈は、安政元年(1854)の津波で流されて廃村となり、現在は新桑竈(さらくわがま)、棚橋竈(たなはしがま)、栃木竈(とちのきがま)、小方竈(おがたがま)、大方竈(おおがたがま)、道行竈(みちゆくがま)、相賀竈(おおかがま)の七つになってしまいました。
 竈方集落の総氏神で、毎年正月五日に竈方祭が執り行われています。平維盛の子、行弘が、紀伊山地の奥地に隠れ住み、その三代目の子孫にあたる行盛が一族を引き連れてこの地に移り住んだと言われていますが、宇佐八幡宮を模して造営したものといいます。八ヶ竈のいくつかの神社を明治時代に合祀して、「八ヶ竈八幡神社」となりました。