成覚寺 維盛の墓碑と木像

津市芸濃町河内(かわち) <人物>
平維盛
<関連する章段>
巻3の12
巻5の11・12
巻7の14・19
巻9の7
巻10の1・8・9・10・11・12・13  

「平家物語」では、平維盛は密かに屋島を脱出し、高野山で剃髪し、熊野三山に詣でた後、那智沖で入水したと記されています。しかし、成覚寺伝によると、入水に見せかけて熊野を去り、31人の家臣とともに河内に来て落合の地に一草庵を結び、承元4年(1210)没するとあります。成覚寺はその草庵の場とされています。成覚寺に残る維盛関係の記録は、江戸期に記されたものが中心で、境内にある墓碑は寛政8年(1796)に十数年繰り上げて、維盛没後600年法要を実施した時に建立されました。木像も江戸期の作とみられます。