源 義経
(みなもとのよしつね)
<登場する章段>

9の2・3・5・7・8・9・12
10の5・14・15
11の1・2・3・4・5・6・7・
    8・11・13・15・
   16・17・18
12の4・5・8
 <プロフィール>
源義朝の九男。幼名は牛若(うしわか)。平治の乱で父が敗死しため鞍馬寺(くらまでら)に預けられ、後に奥州藤原秀衡(ふじわらひでひら)のもとで育つ。兄・頼朝の挙兵に駆(か)けつけ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦で目覚ましい活躍をする。しかし、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたこと、平時忠の娘を妻にしたこと、平氏との戦いにおいて独断で行動したことなどによって、頼朝の怒りを買い、奥州に逃亡し、平泉で自害した。
<エピソード>
優れた軍才を持ちながら非業の死をとげたことで多くの人の同情を引き、判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉や、海を越えて大陸へ渡り、ジンギスカンになったなど、多くの伝説や物語を生んだ。義経の容姿については「色白で背の低い男だが、前歯がとくに出てはっきりわかる」と記されているが、江戸時代になって「義経物」が人気を呼び、美男子の印象が定着していった。平教経から逃れて二丈ほど離れた舟に飛び移る身軽な義経は、後世「義経の八艘跳(はっそうと)び」の説話となった。義経の幼少期や晩年については軍記物語「義経記(ぎけいき)」にその人柄がくわしく語られている。
 <名言>
日本国をしづむる事、義仲、義経がしわざにあらずや。たとへば同じ父が子で、先に生るるを兄とし、後に生るるを弟とするばかりなり。
<意味>
日本国をしずめたのは、義仲・義経のした事ではないか。言ってみれば、同じ父の子で、先に生まれるのを兄とし、後に生まれるのを弟とするだけの事だ。
鎌倉に入れないことを不満に思った義経は、泣く泣く頼朝に書状を書いた。
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