滝口入道・横笛
(たきぐちにゅうどう・よこぶえ)
<登場する章段>

10の8・9・10・12・13
 <プロフィール>
斎藤 時頼(さいとう ときより)。内大臣・平重盛に仕えたが、十八歳の時に法輪寺で恋人・横笛への思いを断ち切るために出家し、「滝口入道」と呼ばれる。宮中警護に当たる滝口武者であったため、出家後の名前の由来となる。その後、修業を積み、高野山真言宗別格本山の大円院の第8代住職にまでなった。平維盛の臨終を看取(みと)ったという。
<エピソード>
「平家物語」には、十六歳になった維盛の息子六代が出家し、高野山を訪れた時、維盛の出家から入水までの様子をくわしく語って聞かせたという。滝口入道と横笛の悲恋は、後代の人々に好まれ、御伽草子(おとぎぞうし)に「横笛草紙」があり、その中では、時頼に会えなかった横笛が、帰る途中、大井川に身投げすることになっている。また、明治時代、高山樗牛(たかやまちょぎゅう)が小説「滝口入道」を発表している。滝口入道が修業した嵯峨の往生院(おうじょういん)は、現在は滝口寺と呼ばれている。
 <名言> (生没年)滝口入道・横笛とも不詳
たとひ一度は心強くとも、又したふ事あらば、心もはたらき候ひぬべし
<意味>
たとえ一度は気強く退けても、またも慕って来る事があるなら、心も動いてしまいましょう。
訪ねてきた横笛を追い返した後、滝口入道は嵯峨から高野山に登った。
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