高倉天皇
(たかくらてんのう)
<登場する章段>
3の18・19
4の1・2
5の11・13
6の1・2・3・4
 <プロフィール>
平安時代末期の第80代天皇。後白河天皇の第7皇子。治承三年の政変によって後白河院が鳥羽殿に幽閉(ゆうへい)状態に置かれると、高倉天皇自ら政務をとった。治承4年(1180年)、安徳天皇に皇位を譲(ゆず)り、厳島社へ御幸したのは、幽閉を解くためとされる。心労がたまったからか間もなく病に倒れる。福原遷都の失敗や各地での源氏を中心とした反乱のさなかに、21歳で亡くなった。
<エピソード>
「文王(理想的な君主とされる中国の王)」と称賛(しょうさん)された。高倉院は、色白で美しい容姿であり、その人柄は多くの廷臣(ていしん)から慕(した)われていたとして、紅葉を燃やした下役人や、強盗に主人の衣を奪(うば)われた少女に思いやりを示した高倉天皇のエピソードは、「平家物語」の巻6の2「紅葉」に語られている。また、母の春建門院(平滋子)は清盛の妻・時子の異母妹である。親思いでもあり、危篤(きとく)の母との最後の対面が許されず号泣(ごうきゅう)したという。
 <名言> (生没年) 1161.9.3〜1181.1.21
林煖酒焼紅葉といふ詩の心をば、それらにはたがをしへけるぞや。やさしうも仕りける物かな。
<意味>
『林間に酒を暖めて紅葉を焼(や)く』という詩の心を、その下役人には誰が教えたのだ。風流にもいたしたものだなあ。
下役人が、大切な紅葉を掃き捨て、酒を暖める薪にしてしまったことを聞くと、10歳の天皇は下役人を叱るどころかおほめになった。
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