
(たいらのただもり) |
<登場する章段>
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<プロフィール> |
平安時代末期の武将。平清盛の父。伊勢平氏で初めて内裏(だいり)の昇殿(しょうでん)を許され、「未曾有之事(みぞうのこと)」と評された。諸国の受領を歴任し、日宋貿易にも従事して莫大(ばくだい)な富を蓄え、後の平氏政権の基礎を築いた。勅撰(ちょくせん)歌人としても知られている。私家集「忠盛集」を残した。 |
<エピソード> |
その当時伊勢国の国司をしていた平家の事を「伊勢平氏」と呼びならわしていたが、右大臣藤原宗忠(ふじわらのむねただ)の日記、「中右記(ちゅうゆうき)」に「此ノ人ノ昇殿、猶未曾有ノ事ナリ」と記している通り、驚(おどろ)くべき出世を果たした。「平家物語」には貴族からのいやがらせや陰謀(いんぼう)を、強い意志と知力で切り抜け、のしあがっていく姿が描かれている。人となりは慎(つつし)みがあって、ぜいたくな行いは一切なかったという。 |
<名言> |
(生没年) 1096〜1153 |
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<意味>
特別の事はなかった。 |
忠盛の身を心配し、内裏の庭で控えていた家来の平家貞が「さて、いかが候ひつる」と尋ねた時、宮中で受けた恥を忠盛は一切話さず、一言答えただけだった。殿上に斬りこみかねない家貞を抑えるためであった。 |
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