西光法師
(さいこうほうし)
<登場する章段>

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 <プロフィール>
後白河院の近臣。俗名は藤原師光(ふじわら のもろみつ)。藤原成親(ふじわらなりちか)とは義兄弟。藤原成親・俊寛(しゅんかん)・多田行綱(ただのゆきつな)らの平氏打倒の陰謀(いんぼう)に加わり、鹿ヶ谷の山荘での密議(みつぎ)の首謀者(しゅぼうしゃ)とされる。激怒(げきど)した清盛は西光を拷問(ごうもん)の末、その夜のうちに五条西朱雀で斬首させた。
<エピソード>
厳しい尋問を受け、清盛から顔を踏みつけられ「過分のふるまひ(身分不相応なふるまい)」だとののしられても顔色を変えず、居直ってあざけり笑い、「太政大臣までなりあがッたるや過分なるらむ」と言い返した。清盛は怒りのため言葉を失ったという。自白状をとられた後、さまざまな拷問を受けたうえ口を裂かれた。清盛の娘・盛子や息子・重盛の死を、西光の怨霊(おんりょう)とする落書(らくしょ)が内裏(だいり)に現れたという。また、中宮・徳子の御産(ごさん)の際、多くの物怪(もののけ)と並んで西光の怨霊も現れたという。
 <名言> (生没年) ?〜1177.6.30
頸をとるにしかじ
<意味>
首を取るのにこした事はない
康頼が「あんまり平氏(瓶子)が多すぎて、酔ってしまいました」とおもしろがって言うと、西光もその言葉を受けて瓶子の首を取ってしまった。
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