六 代
(ろくだい)
<登場する章段>

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後白河法皇
 <プロフィール>
平高清(たかきよ)。父は平維盛。母は大納言藤原成親(ふじわらのなりちか)の娘。清盛の孫にあたる。平正盛から数えて直系の六代目に当たるため「六代(ろくだい)」と名づけられた。平氏滅亡後、文治元年(1185年)に捕らえられ斬首(ざんしゅ)になるところを文覚の助命嘆願があり、身柄は文覚に預けられ出家した。頼朝の死後、庇護者の文覚も流罪になると、六代は再び捕らえられ、処刑されたというが、諸説があり確定できない。
<エピソード>
「平家物語」には美しく、親思いの優しい人物として描かれているが、斬首された時はほぼ30歳であったという。12巻「六代被斬」の最後は「それによりてこそ、平家の子孫は、ながくたえにけれ」で結ばれている。神奈川県逗子市(ずしし)の田越川(たごしがわ)に面した高台、仙元山の麓付近に六代御前の墓がある。平家の落人伝説は全国にあるが、三重県内には、六代が源氏の追っ手から逃れて隠れ住んだという場所が三箇所あり、いずれも地元の人に聞かないわからないような山奥に墓がひっそりと残っている。
 <名言> (生没年) 1173〜1198.2.5
『鎌倉まで送りつけて参って候』と申すべし
<意味>
「『鎌倉まで送り届けて参りました』と申せ
斬首と聞いた六代は斉藤兄弟を呼び、母が嘆くとつらいので途中で斬られたと申してはならないと言われた。
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