平 教経
(たいらののりつね)
<登場する章段>

8の7
9の6・9・12・18
11の3・10
 <プロフィール>
平教盛(清盛の弟)の次男。治承三年(1179年)に、兄通盛のあとをつぎ能登守に任官。養和元年(1181年)、加賀国で敗れた兄の支援のため、副将軍として北陸道へ向かう。数々の合戦において武勲を上げた平家随一の猛将であり、水島の戦い、六ヶ度合戦、屋島の戦いで奮戦して源氏を苦しめた。一の谷で討ち死にしたという記録と、壇ノ浦で自害したという記録がある。
<エピソード>
「平家物語」では平家の公達の中で最強の武人として、また源義経のライバル的存在として描かれている。一の谷合戦では、皆が嫌がる難所の防衛を引き受け、妻との名残を惜しむ兄をしかりつける。都第一の強弓で、屋島合戦では、義経を射落そうとねらい、忠臣佐藤嗣信(さとうつぎのぶ)を射殺す。壇ノ浦では義経の舟を見つけて飛び移り、組みかかろうとするが、義経は二丈(6メートル)ばかり離れた味方の船に飛び移ってしまい、教経はこれまでと死を覚悟するや、敵を両脇に抱え込んで入水する。
 <名言> (生没年) 1160〜1184.4.25?
さらばおのれら死途の山のともせよ
<意味>
それならきさまらは死出の旅路の供をしろ
教経は郎等を海に蹴落とし、安芸太郎を左の脇に、弟の次郎を右手の脇にはさみ、26歳で海へさっと身を投げた。
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