平 維盛
(たいらのこれもり)
<登場する章段>
3の12
5の11・12
7の14・19
9の7
10の1・8・9・10・11・12・13
後白河法皇
 <プロフィール>
清盛の孫で、平重盛の嫡男。六代の父。治承・寿永の乱において大将軍として出陣するが、富士川の戦い・倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦いで敗北する。父の早世(そうせい)もあって一門の中では孤立気味であり、都落ちの時には弟資盛に従って行動している。一ノ谷の戦い前後に陣中から逃亡する。高野山に入って出家し、那智の沖で入水自殺したというが、その最期は定かではない。
<エピソード>
「平家物語」前半には父重盛とともに行動する姿が紹介される。美貌(びぼう)の貴公子として有名。後白河法皇50歳の祝賀で、烏帽子に桜の枝、梅の枝を挿して「青海波」を舞い、その美しさから桜梅少将と呼ばれた。「建礼門院右京大夫集」では「今昔見る中に、ためしもなき(美貌)」と記され、その姿を光源氏にたとえている。父の死後は、頼朝追討軍の大将軍としての華やかな姿が描かれるが、戦場での活躍はない。富士川で水鳥の羽音に驚いて敗走した時は、「維盛を鬼界が島へ流せ」と清盛の怒りが激しく、しばらく他家に隠れていた。
 <名言> (生没年) 1158〜1184.3.28
あはれ人の身に、妻子といふ者をばもつまじかりけるものかな。
<意味>
ああ、人の身に、妻子というものをもってはいけないものでしたよ。
死のうと決心した今でさえ妻子のことを恋しく思い出し往生できないと、維盛は滝口入道に懺悔する。
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