祇王・仏御前
(ぎおう・ほとけごぜん)
<登場する章段>

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 <プロフィール>
平安時代末期の白拍子。祇王は京都で評判の白拍子の名手となり、平清盛に愛されたが、清盛の愛が仏御前に移ると、嵯峨往生院(現・祇王寺)にて、母のとじ、妹の祇女とともに、仏門に入る。祇王は21歳であった。祇王のとりなしで今様を詠み、清盛の寵愛を集めた仏御前であったが、自分もいずれは捨てられる同じ身の上だと現世のはかなさを悟り、17歳で出家したのだった。
<エピソード>
「かくて春過ぎ夏闌(た)けぬ。…」で始まる祇王と仏御前の再会の場面は、七五調の和文脈で、多くの人々に愛誦されてきた。祇王は、近江の国江部荘の出身と言われている。清盛の寵愛が深かったとき、水不足に苦しむ故郷の村人を救うため、清盛に頼んで水路を引いてもらった。人々は大変喜び、この水路を祇王井と呼ぶようになったという。また、仏は加賀国(石川県)の人とされ、様々な伝承が残っている。世阿弥は、加賀国に帰った仏について能「仏原」を作った。
 <名言> (生没年) 祇王・仏御前 とも不詳
かやうに様をかへておはしたれば、日比(ひごろ)のとがは露塵(つゆちり)ほどものこらず。今は往生うたがひなし
<意味>
このように姿を変えて来られたので、日頃の罪科は少しも残らず、恨みはまったくありません。今は極楽浄土は疑いありません。
清盛の屋敷からぬけ出し、尼になった仏御前の思いを聞いて、祇王は彼女を迎え入れる。以後、4人はともに仏前に花・香を供え、往生の本懐を遂げた。
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