安徳天皇
(あんとくてんのう)
<登場する章段>

4の1・2
5の1
11の9
後白河法皇
 <プロフィール>
平安時代末期の第81代天皇。高倉天皇と建礼門院徳子の子で、平清盛の孫にあたる。治承4年(1180年)4月、 わずか3歳で即位、6月には遷都(せんと)で福原に赴(おもむ)くが、11月には京に戻る。寿永2年(1183年)義仲軍の上洛で平家一門と西国へ落ちのび、壇ノ浦の戦いで清盛の妻・二位尼に抱かれて海中へ身を投じた。 わずか8歳であった。
<エピソード>
安徳天皇は三種の神器とともに都落ちしたが、寿永2年8月20日(1183年9月8日)、神器がないまま後鳥羽天皇が即位したため、正史上初めて2人の天皇が存在したことになる。2年間、在位期間が重複している。下関市(しものせきし)伊崎町には、壇ノ浦の戦いの翌日、漁師達が網(あみ)にかかった安徳天皇の遺体を引き上げて、一時的に安置したという御旅所(おたびしょ)があるほか、平氏の残党とともに地方に落ち延びたとする伝説もある。
 <名言> (生没年) 1178.11.12〜1185.3.24
尼ぜ、われをばいづちへ具してゆかむとするぞ。
<意味>
「尼御前、私をどちらへ連れて行こうとするのだ。
入水を覚悟した二位尼に抱き上げられ、船ばたに進んだ時、8歳の安徳天皇は、驚きとまどいながら尋ねる。
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