SDGsで読み解く方丈記

鴨長明の体験と現在の私たちの生活を重ねる

   みなさんは、日本三大随筆の1つである「方丈記(ほうじょうき)」を読んだことがありますか。「方丈」とは、約3メートル四方の広さをいいます。著者の鴨長明(かものちょうめい。名は「ながあきら」とも読む。)は、京の下鴨神社正禰宜(しもがもじんじゃしょうねぎ)の次男として生まれました。和歌と琵琶を愛し、平安末期の源平合戦という激動の時代を生きた人です。長明は10代から30代にかけて思いがけない不幸な出来事を体験し、数えきれない死を間近に見てきました。
 特に平安末期の5つの自然災害・政変による混乱は、21世紀の世界情勢に重ね合わせることができるように思います。昔の人々はこの災難をどう受けとめ、行動したのでしょうか。「方丈記」を読むことは、予測不可能な未来に向けて、私たちの生き方や考え方を見直すきっかけになるかもしれません。

※日本の三大随筆とは、古い年代順に清少納言「枕草子(まくらのそうし)」・鴨長明「方丈記(ほうじょうき)」・兼好法師「徒然草(つれづれぐさ)」です。


長明の生涯

内容 年号(年齢) 長明の出来事 世の中の出来事
1 序  世の無常 1155年【1歳】



1156年7月【2歳】

1159年12月【5歳】

1160年【6歳】

1161年10月【7歳】

1167年2月【13歳】

1172年【18歳】

1175年3月【21歳】
●下鴨神社の最高位の神官・長継の次男として生まれる。幼少期より菊太夫と呼ばれた名門のお坊ちゃまであったが、母が早く亡くなったとの説がある。






●二条天皇の中宮・高松女院により長明が従五位下に叙せられる。


●病弱であった父が33歳か34歳で亡くなる。

●高松院北面菊合(左右に分かれた歌人が菊に歌を添えて優劣を競う)に出席




◆保元の乱が起き、武士の時代が始まる。
平治の乱を平清盛軍が鎮定する。
◆源義朝は殺され、息子の頼朝は伊豆に流される。


◆内大臣平清盛が太政大臣(従一位)になる。


■疱瘡(ほうそう)が流行

2 安元の大火 
1177年4月28日【23歳】
6月

1178年4月24日【24歳】
●長明の住居・父方の祖母の屋敷は無事であった。 ■安元の大火(安元3年)<太郎焼亡>
■この年、治承に改元する。
◆鹿ケ谷の陰謀が起こり、源平争乱の始まりとなった。
■治承の大火(治承2年)<次郎焼亡>七条東洞院より出火、京の三十数町を焼き尽くす。
3 治承の辻風  1180年2月【26歳】

4月29日
4月

5月




◆平清盛の孫・安徳天皇が3歳で即位する。
■治承のつむじ風(治承4年)
◆以仁王、平氏追討の令旨を諸国に発する。
◆以仁王と源頼政が挙兵するが、戦死。
4 福原遷都 6月

8月

9月

10月










●長明、福原へ旅して新都を見る。
■福原への遷都(辻風の約1か月後)
◆源頼朝が伊豆で挙兵するが、◆石橋山の戦いで大敗。
◆木曾義仲が信濃国で挙兵する。
◆富士川の戦いで、源頼朝が平氏に勝利する。
5 京への遷都 11月

12月


■京都への還都(遷都からわずか半年)
◆平家が奈良の東大寺・興福寺を焼討し焼死者が出る。
6 養和の飢饉 1181年閏2月【27歳】
5月


年末から


●10代後半から約10年かけの和歌「鴨長明集」を編む。歌の師・俊恵は長明を末の世の歌仙と評価する。
◆平清盛死亡。後白河院政が復活する。



■養和の飢饉(前年から旱魃・かんばつ=日照り)
■養和の飢饉
7 疫病の流行 翌春にかけて【28歳】
■養和の飢饉・疫病の流行
8 仁和寺の隆暁法印 ■当時48歳の隆暁が死者を供養する。
9 元暦の地震 1183年5月【29歳】

7月23日

7月28日

1184年【30歳】


1月

2月



1185年2月【31歳】
3月
7月9日午(うま)の刻






●父の祖母方の家を出て、賀茂川近くに自宅を建て独り住まいを始める。(~1204年まで)



倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲が平家の大軍を破る。
◆平家一門が安徳天皇とともに都落ちする。
◆木曽義仲が入京し、乱暴を繰り返す。



◆宇治川の戦いで木曽義仲は源義経軍に敗れ戦死する。
◆一の谷の戦いで平家は源義経・範頼軍に敗れ屋島へ逃れるが、屋島の戦いでも敗れ海上に逃れる。
◆壇の浦の戦いにて平家滅亡、安徳天皇入水。
■元暦の大地震(元暦2年)
10  続く余震
11 世の生きにくさ
12 出家までの身の上 1186年晩秋【32歳】
1187年【33歳】


1189年【35歳】

1191年【37歳】3月
7月
1192年
1198年1月【44歳】
1199年1月【45歳】
1200年9月【46歳】

1201年8月【47歳】

1204年春【50歳】
●伊勢・熊野に旅し、「伊勢記」を書く。

●六条河原近くに自宅を建て、歌林苑にて俊恵より和歌を学ぶ。「千載和歌集」に一首入集し喜ぶ。



●若宮八幡歌合に出詠する。
※これより9年余り、長明の消息不明。



●後鳥羽院当座歌合をはじめ多くの歌合に出詠。

●後鳥羽院に歌の才能を認められ和歌所の寄人に抜擢される。
●和歌所を辞し、出家して大原に転居する。





◆源義経死亡、源頼朝が奥州の藤原氏を平定する。


◆源頼朝が征夷大将軍となる。
◆疱瘡が流行する。
◆後鳥羽院政が始まる。
◆源頼朝没。
13 方丈の庵 1205年【51歳】
1208年【54歳】
●「新古今和歌集」成立。長明十首入集。
●大原より日野法界寺の外山に移り、方丈の庵を結ぶ。
14 日野山の自然
15 少年との行楽
16 庵の夜
17 庵の穏やかさ
18 自分で生きること
19 心の持ち方
20 結び 自己との対話 1211年9月【57歳】

10月
1212年3月【58歳】
1214年【60歳】
1216年閏6月【62歳】
●飛鳥井雅経と鎌倉へ行き、源実朝に会う。
●歌論書「無名抄」成立。
●随筆「方丈記」成立。
●仏教説話集「発心集」成立か。
●長明没。