治承の辻風 
原文 朗読  on  朗読  off 現代語訳
 また、治承四年卯月(うづき)のころ、中御門京極(なかみかどきやうごく)のほどより大きなる辻風(つじかぜ)おこりて、六条わたりまで吹ける事侍(はべ)りき。
 
三四町を吹きまくる間に、こもれる家ども、大きなるも小さきも、一つとして破(やぶ)れざるはなし。さながら、平(ひら)に倒れたるもあり、桁(けた)、柱ばかり残れるもあり。(かど)を吹き放ちて、四五町がほかに置き、また、垣を吹きはらひて隣(となり)と一つになせり。いはむや、家のうちの資材、数を尽くして空にあり。檜皮(ひはだ)、葺板(ふきいた)のたぐひ、冬の木(こ)の葉の風に乱るるがごとし。(ちり)を煙のごとく吹き立てたれば、すべて目も見えず。おびただしく鳴りどよむほどに、もの言ふ声も聞こえず。かの地獄の業(ごふ)の風なりとも、かばかりにこそはとぞおぼゆる。
 
家の損亡(そんまふ)せるのみにあらず。これを取り繕(つくろ)ふ間に、身をそこなひ、片輪(かたは)づける人、数も知らず。この風、未(ひつじ)の方に移りゆきて、多くの人の歎きなせり。
 辻風は常に吹くものなれど、かかる事やある。
ただ事にあらず、さるべきもののさとしか、などぞ疑ひ侍りし。
また、治承四年四月頃、中御門京極のあたりから、大きなつむじ風が起こって、六条大路のあたりまで吹きぬけたことがあった。
 
三、四町(300mから400mにわたり)吹き荒れる間に、その中に入っている家々は、大きなのも小さいのも、一つとして壊れなかったものはない。そのままぺしゃんこに倒れた家もあるし、桁(けた)、柱だけが残ったものもある。門をその場から吹き飛ばして、四、五町(400~500m)も遠方に持ってゆき、また、垣根を吹き払って、隣との境目がなくなったのもある。まして、家の中にあった家財道具は、ことごとく空中に舞い上がった。屋根の檜皮や葺板などは、冬の枯葉が風に吹き乱れているようであった。地面からほこりを煙のように吹き上げたので、全く目も見えない。あたりにごうごうとすごい音が鳴り響くので、人の話す声も聞こえない。あの、地獄の業風(ごうふう)であっても、これほどではあるまいと思われた。
 
家が破壊されたばかりではない。壊れた家を修理しようとしている間に、けがをして、不自由な体になった人は、数え切れぬほどだった。このつむじ風は、南南西の方角に吹き移って行き、多くの人に嘆きをもたらした。
 つむじ風は、よく吹くものであるが、こんなひどいことがあるだろうか。
これはただごとではない。しかるべき神仏のとがめ、警告であろうか、などと考えこんでみたものだった。
解説と鑑賞 関連する文学
●町…平安京の土地の区画の単位。一町は約121m四方。
●中御門京極…中御門大路と東京極通りの交差するあたり。現在の京都府立医大病院、蘆山寺の近く。
●六条大路…中御門大路から六条大路までは、直線距離で3キロ近い。
●桁(けた)…柱と柱を結ぶために上部に横に渡した材木。
●檜皮(ひはだ)…檜(ひのき)の樹皮を四角に切った屋根材。寺院や貴族の邸宅に多用。
●葺板(ふきいた)…杉(すぎ)や椹(さわら)などの板。社寺から民家まで広く使用。
●地獄の業の風…仏教の言葉で、人間が犯した悪業によって吹き起こる凶風。仏教では世の終わりに劫火(ごうか)・劫水(ごうすい)・劫風(ごうふう)が起こるという考え方がある。
「平家物語」巻三「辻風」は「方丈記」の記述を巧みに取り入れている。
❷日記にも辻風の描写がある。
 
●「木を抜き、沙石(させき)を揚げ、人家、門戸並びに車等、皆吹き上ぐと云々藤原定家の日記「明月記」人々は火事の煙かと見まちがえたという。
 ●「す
なはち黄気を成し、楼の天に至るが如し」「辻風は常の事たりといへども、未だ今度の事の如きはあらず。すなはち尤(もつと)も物怪(もつけ…異変、悪事の予兆)たるべきか九条兼実(くじょうかねざね)の日記「玉葉(ぎょくよう)によると雷鳴が猛烈であったらしい。
出来事
1180(治承4)年4月29日
【26歳】
治承のつむじ風
同年4月   以仁王、平氏追討の令旨を諸国に発する。
同年5月   以仁王挙兵。源頼政の反乱。
方丈記の風景
木(さわらぎ)町通り 平安京の中御門通り 平家物語絵本巻3  辻風
辻風の通り道 大和田気求『方丈記泗説』(延宝3年・下鴨神社蔵)「辻風の図」より